私の床屋歴

私の床屋の歴史を少し紐解いてみると、小学・中学二年くらいまでは、私の母が自宅にあったバリカンという代物で私の頭髪の管理をしていたように思う。中学三年の二学期頃になると高校に上がると丸刈りという訳にもいかないので、地元の床屋に行っていたと思う。そこがなんという名前の床屋だったかは記憶にない。高校時代も床屋に関して大してこだわりもなく、大学はさらにひどくて半年に一度くらいしか床屋に行かなかった。
大学を卒業して働くようになると少しは髪にもこだわるようになり、ちょうどそのころある人の紹介である床屋の改装の契約を頂き、そのご縁でつい五年くらい前までその床屋に通い続けた。予約もなしで勝手気ままに空いている椅子に座り、あれこれ細かなやり取りもなく知らぬ間に、1時間もすれば出来上がっている、という具合だった。
そのいい関係だった行きつけの床屋の主人が体調を崩しとうとう廃業した。新たな床屋探しが始まり、2~3カ所廻ってみたがピタリと当てはまる床屋には巡り合えなかった。義弟の勧めで訪れた床屋は70%合格だった。しかしその床屋は超多忙で必ず予約が必要で、仕上がりは(染めるのも手伝い)1時間半を要する。当たり前のことだが会話はお互い敬語に近い。その床屋は親夫婦・息子夫婦の4人で回していた。それでもかなり慣れてきて居心地もよくなりかけていたのであるが、今年息子夫婦が独立し姫路に店を構えることになった。暗黙で担当が分かれていたのであろう、私の担当は息子夫婦だった。息子夫婦がオープンしたお店は私の通勤動線とはかなりかけ離れているため、今は親夫婦にお世話になっている。聞けば親主人の年齢は私より一つ上だそうである。そんなに長くは付き合えそうもない。億劫だがまた床屋探しをしなければと思っている、昨今である。

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