我が娘について

娘がウィーンに移り住んで四半世紀が経過しようとしている。小学低学年の頃、地元のお寺の住職が主催していた少女合唱団に入団し、その催しの一環としてオペレッタ、確か白雪姫を演じたのをきっかけに、音楽に興味を持ち声楽への道を歩みだした。彼女が仕入れてきた情報を頼りに、たつの市の先生にはピアノと基本的な発声訓練を、姫路の先生には調音を習うという期間が長く続いた。中学・高校と進むにつれてその練習の中身もレベルが高くなり、大学の進路を決めるようになると、春季と夏季には合宿のため一週間くらい東京まで出かけた記憶がある。
結局京都の芸大と岡山の音楽大学を受験したのであるが、京都の芸大は入学できず岡山の音楽大学に進んだ。そこでいい先生とめぐり逢い、色んなことを教えて頂いた。本人も後に我々に漏らしたが、今までの勉強とは中身も方法も全く違って新鮮だったと。先生のご主人はドイツ人で、そのご主人のご縁でネットワークが広がり、大学院を卒業するやドイツに語学留学をし、本格的な音楽活動を求めてウィーンに住むことになった。音楽に関して全く無知な我々夫婦は何一つアドバイスも出来ず、娘の言われるままにするしか仕方がなかった。
しかしながら海外で日本人が檜舞台に立てるのは難しく、余程ずば抜けた才能がないと認めてもらえない。数多くのオーディションも受けたらしいが、頂ける役柄は主役とは程遠い役柄だった。生来の頑張り屋の娘も多少将来のことを考えたのか、十数年前から旅行社で働き始め、オーナーにその働きぶりを認めてもらい正社員として今は勤めている。数か国語が話せる利点もあり、要領の良さも手伝って重宝がられているようだ。
7~8年前にオーストリア国籍のペルー人と結婚した。彼は楽器なら何でもこなす天才肌なのだが、仕事の合間を縫って二人でライブを開催し、またグループで小規模なライブを開催して楽しみながら音楽活動はしている。
毎年8月の末から9月にかけて帰国するのであるが、コロナ禍で今年は3年ぶりの帰国になった。来年50歳になるそうである。長い海外生活で培われたのか、心身ともに逞しくなった彼女に圧倒される日々が続いた。

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