平成29年1月31日午前7時15分、父は息を引き取った。
91年と5か月と18日の壮絶な生涯であった。
今にして思えば親不孝な息子だった。6歳で小児結核を患い、続いて脳脊髄膜炎に侵され、私は生死を彷徨った。当時は決して裕福ではなかったが、最新の医療技術と投薬でいま私は命を頂いている。
病弱だった少年時代から、中学高校と進むにつれ世間並みに健康になった。しかしながら大学受験に失敗し、再び貴方に心労を負わせてしまった。
大学を卒業すると同時に結婚をし、八幡建設に入社した。多くの人の尽力で私はトップセールスの道を歩んだ。経営顧問の先生の強い進言で私は管理者への道を歩むことになった。たいそう不本意だったことを覚えている。
岡山営業所、明石営業所、神戸大開展示場等々の開設並びに運営に携わりながら、35歳の時、現(株)パナホーム兵庫、当時の八幡ナショナル(株)の代表取締役に就任した。
(その後の詳細については、拙著「或る二世経営者の挑戦」に記している。)
その時期くらいから貴方との事業経営に関して価値観が違い始めてきたと思う。故に、出来得る限りパナホームの経営に接触させないように、私は務めてきた。内心は不満だったと思う。しかしながら、従業員が私と貴方の食い違いによって混乱をきたさないように、私なりに配慮したのである。貴方が間違いで私が正しい、と云う見地からではなく、パナホームという企業に合うか合わないか、と云う見地から判断したからである。随分寂しい思いをしたと思うが、許して欲しい。
2003年、私は私の意志に反して妹婿から剥奪するようにして、倒産寸前の八幡建設の社長に就任した。整理に5年、企業らしくなるのに5年、計10年の月日を要した。(パナホームは3年もかからなかった)
貴方との関係は、親子から強くてパワフルな上司へ、そしてライバルへと変化していった。20年前からは、存在さえも気にならないようになり、最近5年くらいは各会社の業績について半年に一度報告をする程度だった。
一昨年創立50周年記念式典の席上で、私は社員を代表して感謝状を贈った。口には表さなかったがどうやら気に入っていたようで、仏壇の横に飾ってある。
感謝状
オーナー 香山 繁殿
あなたが50年前に6人で創めた会社が今はグループ併せて328人の企業になりました
売り上げも200億に達し利益は5億を超す企業に成長しました
あなたが創業されたお陰で私たちが今ここに存在しています
今日までの道程は決して平坦ではありませんでした その度ごとにあなたは独特の感性で知恵と勇気を奮い数々の決断をしてこられました
未来に向かい私たちはあなたが創り上げた歴史と伝統を次世代に繋げて行きます
ここに全社員から心を込めて感謝の意を表します
平成27年11月18日
八幡グループ全社員代表
ネットーワーク議長 香山 廣紀
亡くなった31日と翌1日、私は父と二人だけの夜を過ごした。もちろん人生初である。お互いに下戸であるから、酒を酌み交わすこともなかったし、旅行も行ったという記憶はない。ただ10年以上前にゴルフをした思い出がかすかに残っている。
まことにもって親不孝な息子である。
家内が留守だった数日間、私は一人で燈明を翳し正信偈を読経した。
「まさかお前にお経をあげてもらえるなんて思いもしなかった」という声が聞こえてきそうだった。
私は、
「私もあなたのためにたった一人で読経するなんて思いもしなかった」と、声に出して囁いた。
無常の命、私もいずれそちらに行く、ラウンドをしながら一杯やろう。

