今年のNHKの大河ドラマは『花燃ゆ』だった。視聴率は、平清盛に次ぐ低調だったとか。私は、それほど熱心には観なかったが(録画までして観るという意味)、年間を通じて8割程度は視聴した。その中で、後半の部分ではほとんど主役的存在だった『楫取素彦(旧姓小田村伊之助)』という人物を知り得たことは、大変興味深かった。地味だが、幕末から明治の世を確実に生き抜いた人物像に大いに好感を抱いた。
その楫取と親友だったのが吉田松陰である。私は、松陰が近代国家への扉を抉じ開けた人物だと尊敬している。安政の大獄の煽りを食って、29歳で刑場の露と消えるのであるが、命尽きるまでその志は衰えることが無かった。松陰が開講したのが『松下村塾』であるが、その塾生の中で突出した人物が二人いた。一人は久坂玄端で、今ひとりが我らが高杉晋作である。久坂玄端は、禁門の変の戦いで24歳で亡くなる。一方、高杉晋作は労咳に倒れ、1867年大政奉還を見ることなく27歳で命を落とす。
高杉晋作は、【動けば雷電の如く、発すれば風雨の如し】と称えられ、その行動力と先見力はあの時代において傑出した人物であった。百姓や町人の倅達を集結させ奇兵隊を編成し、幕府の長州征伐に派兵された軍に勝利するのである。彼は、また一流の風流人でもあり、三味線をこよなく愛し、都都逸もいくつか残している。
三千世界の鴉を殺し、主と朝寝がしてみたい
もし(歴史に“もし”は無いが)彼が天寿を全うしていたら、どんな人生を過ごしたであろうと想像してみた。
初代の内閣総理大臣である『伊藤博文』などは晋作のパシリだったし、山県有朋も子分であるから、偉大な存在に対してどう処するか明治政府も憂慮したに違いない。間違っても、彼は政府の高官や爵位などには興味は抱かなかっただろうし、私も想像だにしない。板垣よりも早く思想家として自由民権運動を展開していたか、または風流人として悠々と物書きでもしながら暮らしたのかもしれない。
最後に彼が残した数々の金言・格言の中から、私のもっとも好きな言葉を記す。
おもしろき こともなき世を おもしろく 住なすものは 心なりけり
