歴史には必ずと言っていいほど、表と裏が存在する。我々は残された文献と、言い伝えでしか知ることが出来ない。何故なら当人たちはこの世に存在しないのだから、確かめることは不可能なのである。
歴史上で私が好きな人物は、『織田信長』、『坂本龍馬』、そして『カエサル(英語名シーザー)』である。今回は龍馬について記してみようと思う。
龍馬が表舞台に登場するのは、司馬遼太郎によるところが大きいのではないか。司馬氏の小説「龍馬が行く」が発表されるや、一躍時の人となり、日本中に龍馬ファンが溢れ、多くの人を魅了したのである。かく言う私もその一人である。龍馬の幼少期については、姉の乙女をなくしては語れない。彼女は龍馬の良き理解者で、剣術や馬術、また和歌などの文芸面についても龍馬を教育し、スケールの大きな人物に育てた。
龍馬についての最大の謎は、暗殺者は一体誰なのか?ということである。様々な説が飛び交っているが、実行犯は見廻り組みの今井信郎ら4人であり、その黒幕は会津藩主松平容保であるという説が有力視されている。根拠は明治の世になって、今井信郎自身が語ったことによる。
しかし、歴史の面白さは自分で作りかえられるところにもある。私は今でも暗殺者は薩摩藩であると思っている。龍馬は近江屋で暗殺されたのであるが、二階部分の天井はそんなに高くなく、その部屋でしかも殆ど一撃で殺傷したのであるから、薩摩の示現流が最も適しているのでは?と想像している。その首謀者は勿論、西郷隆盛である。西郷ファンの皆さんには怒りを買うようだが、彼はどうしても徳川幕府を武力で倒したかったのである。平和主義者でリベラルな龍馬の存在が邪魔だったのでは?と。もし龍馬が生きていたら、西南戦争は起らなかったであろうし、もっと早く日本が国際舞台で活躍したであろう。あの時代、日本国、という概念を持っていたのは《坂本龍馬》と《勝海舟》だけであった。ほとんどは自分の藩、という意識しかなかった。
日本で最初に新婚旅行をした龍馬とお龍さんの結婚生活は短かったが、充実していたようである。龍馬が33歳で亡くなった後、お龍さんは再婚するが、66歳の生涯を横須賀で終える。
《日本を今一度せんたくいたし申候》
龍馬の残した言葉である。いま日本を洗濯できる人物は見当たらない。
歴史シリーズ~坂本龍馬の巻~
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