オー・シャンゼリーゼ ~憧れのパリ~ 四

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毎朝ルーブルの広場を散歩するのがどうやら日課になってしまったようだ。小雨の中、ホテルで傘を借りて20分程歩いた。ピラミッドを模ったガラスで出来ているオブジェの前で、三人連れの日本人女性グループに、デジカメのシャッターを押してもらった。
吉田女史との待ち合わせはホテルのロビー9時30分である。本日は、フランス新幹線に乗ってブルゴーニュ地方へ行く予定になっている。喫煙マナーの悪さは目に余るが、ドライバーの運転マナーは見習うところが多々ある。先ず信号は黄色で必ずどの車両も停止する。進路変更に関しても、実に紳士的である。パリリヨン駅に到着する。イタリアでもオーストリアでもそうであったが、出発時刻ギリギリまで我々が乗車するホームのナンバーを確認することが出来ない。勿論改札口などはない。ガイドの吉田女史と列車に乗り込む。席に着いてしばらくすると列車は動き出した。チケットは三名分ある。娘のチケットも含まれている。吉田さんに説明し、車掌が巡回して来たときに、チケットの不使用を証明してもらった。吉田さんも詳細は分からず、地元の旅行社で調査中とのことである。
2時間足らずでディジョンに着き、そこからは各駅停車でボーヌまで行く。ボーヌの駅でいくら待ってもドライバーが来ない。吉田さんが問い合わせたところ、間違えてディジョンの駅にいるそうである。こちらにドライバーが来るまでの時間を利用して駅前の食堂に入り、二人で昼食を取った。私が日本から『ガリア戦記』の跡が見たいという要望を伝えておいたので、出かけることにした。ハイヤーで2時間近く走ったであろうか、やっと《ビブラクト》と云う町に着いた。残念ながら、『ガリア戦記』の微かな香りくらいしか感じることは出来なかった。
また同じ道を引き返してから、チェックインまで少々時間があったので、ボーヌの町を散策した。現在はワイン工房になっている旧修道院で土産物として、吉田女史が推奨してくれた赤ワインと白ワインを1本ずつ買い求めた。我々が宿泊する『ホテル・ル・セップ』はかつてシラク大統領も逗留したことがある、由緒あるホテルとのこと。部屋に入ると、パリのホテルから電話がかかってきた。言っている事が理解できないと答えると、しばらくしてパリ駐在の日本の旅行社から電話が入り、私が宿泊している部屋に荷物が残ったままだと言う。私はチェックイン時にブルゴーニュに行く日もチェックアウトしないで、旅行費用とは別に個人的に支払うからと、予約する旨を伝え、フロントの女性も承諾したのである。それでも頼りない語学力なので吉田女史にさらに念を押してもらい確認したのである。それにも拘らずホテル側に伝わっておらず、今回のトラブルになった。後日分かったことは、ホテル側の担当者同士のコミュニケーションが取れていなかったとの事だった。
ディナーは吉田さんのお勧めで、フランスにおける三大シェフの一人が、つい最近まで料理長をしていた、ホテルの隣にあるレストランで取ることにした。アルコール類のダメな私だが、折角ブルゴーニュまで来たのだからと、彼女が勧めてくれたのでワインをオーダーした。一口飲んでしばらくしてから、また口に含んだ。「吉田さん!最初口にしたときと味が違うのですが?渋くまろやかな感じがするのですが?」と感想を述べると、「香山さん!それ正解です。本当に良いワインは飲むたびに味が変化するのですよ。」と教えてくれた。
次の日の朝、朝食を済ませてから一人で散歩に出かけた。ぐるりとホテルの周辺を一回りして帰ってくると、なんだか辺りが騒々しくなっていた。ロビーで吉田女史と顔を合わせた。「ボーヌの朝市は有名なのですよ。出かけてみますか?」と誘ってくれた。ドライバーとの待ち合わせの時刻まで1時間以上あり、朝市に行ってみることにした。彼女の言うとおり賑やかで活気に満ちていた。私は、抹茶茶碗として使えそうな掘り出し物がないかと、探したが適当なものは見つからなかった。桃とトマトと苺をいくらか買い求め、ホテルの自室で食べてみた。形は良くないが味は美味しく戴いた。
迎えのハイヤーに乗り込んで、20~30分もすると、ブルゴーニュのブドウ畑に着く。私がイメージしていた葡萄の木は、高さが2メートルくらいあり、手を指し伸ばして葡萄の実をもぐのだと思っていた。ブルゴーニュ地方の葡萄の木は、高さはせいぜい1メートルまで、まるでキャベツや白菜畑のような風景である。葡萄の木は芯止めされており、日本の盆栽のような育て方である。ここが《ロマネコンティ》が造られるブドウ畑である、とドライバーが自慢そうに言う。
私はその世界一のブドウ畑に足を踏み入れ、汗を掻いたようにたわわに実った《ロマネコンティ》の葡萄の実を間近に見、シャッターを押し続けた。
パリに帰った私は、吉田さんに教えてもらった『さぬき屋』と云う店でうどんを食べた。日本人以外の客も数多くいて、行列が出来ている。私は幸い一人なのでカウンターに潜り込んだ。家族連れも何組かいる。美味しいものは誰も知っている。ホテルに帰り、明日の出発の準備をした。明日の目標は税関手続きをしっかり行うことだ。イタリア旅行では失敗し、いくばくか損をした経緯がある。AM9時に迎えのタクシーが到着した。そのドライバーも私が一人だということに不審感を抱いた。ド・ゴール空港までは小一時間である。空港はごった返していた。出発まで3時間近くあったにも関わらず、搭乗手続きと税関での免税手続きに思った以上に手間がかかり、エールフランスのラウンジに腰を下ろすまでに2時間ほどを要した。
帰りの隣の席は、1m80を有に超すドイツ人男性だった。齋藤先生の言いつけを守り、帰りの機内では食事を取らなかった。映画を観たり本を読みながら、うつらうつらしているうちに関空に着陸した。はるかと新幹線を乗り継ぎ姫路に着いた。
8月11日、AM11時。

               エピローグ
モン・サン・ミッシェル修道院とブルゴーニュとどちらにするべきか迷ったが、ブルゴーニュを選択して正解だったと、今は思っている。《ロマネコンティ》畑に立ったときめきは、ルーブルにも劣らぬ感動だった。パリはもう一度訪れたい街である。
それにしても、今回憧れのパリは、手違いのパリでもあった。

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