因幡街道について調べてみた。
因幡街道とは詠んで字の如し、因幡の国、現在の鳥取県と、播磨の国兵庫県(正確には南西部)を繋ぐ街道のことで、大和朝廷の時代から利用されていた古官道のひとつである。
定説によると、姫路市青山を始点とした山陽道、つまり現在の国道2号線から、国道29号線、国道179号線、国道373号線、兵庫県道724号線にほぼ対応している。
道標からいま少し詳しく因幡街道を追ってみることにする。最初の道標は姫路市飾西に見ることが出来、宿場町としての面影を感じることが出来る。石倉を経て追分の信号を左折ししばらくゆくと嘴崎である。少し横道にそれるが、追分の信号を直進すると林田町であり、現スーパーの前や市役所の支所の前にも、風化して見えにくくなっているが道標が残っている。林田町には古くから陣屋もあり、江戸時代は随分賑わった。また三木家住宅はその時代の大庄屋であり、観光屋敷として我々も訪れることが出来る。
追分から嘴崎までの間にもいくつか道標を見ることが出来る。嘴崎は、全国一美味しい素麺の発祥の地で、大神神社、別名素麺神社が祭られており、人々の信仰を集めている。また揖保川の左岸にある、五体の磨崖仏は兵庫県下では最も古いものである。
嘴崎の宿から千本宿、三日月宿を経て平福の町に着く。平福は古くから交通の要であり、室町時代は赤松氏の拠点として、江戸初期に築かれた利神城の城下町として賑わいを見せたが、一国一条令により利神城は取り壊され、その後、昭和初期まで出雲街道、因幡街道の中心をなし、大いに繁栄した。赤茶色の土蔵と川屋敷が建ち並び、旧宿場町の佇まい今に残しており、初冬の朝霧の幽玄さにも魅せられ、観光客の絶える事はない。平福から大原(岡山)を過ぎるといよいよ因幡の国、鳥取県である。最大の宿場町、智頭宿を通り終点鳥取市に着く。
ここで司馬遼が記した『街道をゆく』に目を通すと、国道29号線における《戸倉峠》を基点として、鳥取側からを播州街道と称し、兵庫県側からを因幡街道と呼んでいると、書かれている。私もそうと思っていた。事実29号線を車で走っていると、カーナビには因幡街道と表示される。私は毎日因幡街道を走っている、と今後も思うことにする。
因幡街道
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