令和6年1月

令和6年元日は、昨年のうちに決めていたことであるが、亡き父が住んでいた住まいを、一年がかりで大改装し、次男夫婦と子供が暮らす自宅に、長男家族と私たち夫婦が集まり昼食を摂った。食べ終えた後、少しの間歓談し3時過ぎに解散した。
我々夫婦も自宅に戻り、お正月の特番を見ながら過ごしていると、午後4時過ぎにテレビ画面に北陸地方に地震の速報が流れた。また地震か!と思い見ていると、1時間もしないうちにテレビ画面はどこのチャンネルを回しても、地震のニュースが流れ出した。どうやら石川県能登地方を震源にした大地震が発生し、東日本大震災のような大津波警報が発せられたようである。時を追うごとにテレビ画面には悲惨な様子が映し出されてゆく。
元日早々なんということか!日本中の国民のだれもがそう思ったに違いない。
1月5日は、例年通りグループの初出式を執り行った。安全祈願祭のあと私は冒頭で、我々グループで今回起こった能登地方の大震災に対してどんな支援が出来るか、考えて実行したい、と訴え、そのまとめ役にパナホーム兵庫の山田君を指名した。今現在はとりあえず義援金を集め支給することにした。グループで最低でも500万位は集めたいと思っている。全容が徐々に明らかになるにつれ、その状況は目を覆いたくなる。一日も早い復旧復興を祈るばかりである。
一昨日、元社員で、町会議員・市会議員を経てこの間まで県会議員を務めていた春名氏の訃報が飛び込んできた。家族葬と言うことだったが通夜に出席させていただき彼と無言の対面をした。私より3~4歳若かったはずである。どうやら肺の病が完治していなかったようである。筆舌に尽くしがたい、暗い・重い令和6年の幕開けである。
それでも我々は生きて行かねばならない・・・

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