H君・志澤塾に来る

先日H君からアポ取りの電話があり、志澤塾で会うことになった。内容はこの9月で定年を迎え、その挨拶にということだった。
彼は大学を卒業すると同時に、現パナソニックホームズ、当時はナショナル住宅産業に就職し、八幡ナショナル住宅(現パナホーム兵庫)に営業担当として出向してきた。出向者としては比較的長い約8年余り在職し、メーカーに帰っていった。その間当社における実績はかなり上げてくれたと記憶している。メーカーでの仕事内容については詳しくは知らないが、転々と仕事内容は変わったということは聞き及んでいる。
それから何年かが経過して、当時リフォーム兵庫の社長の藤木氏から、H君が当社に、メーカーを退職して入社したいと希望しているのですが、どうしましょう、という旨の相談があった。私は二つ返事で承諾した。結局彼は12年と6か月、我々のグループ会社に籍を置いていろいろと貢献してくれた。私自身は彼に藤木氏の後継者にと期待していたが、彼自身にその気持ちがないことを知り、今回の定年退職に至った。彼は八幡ナショナル住宅に出向期間中に、当社の女子社員と社内恋愛の末結婚し、マイホームも建築した。
挨拶の雑談の中、
「よく君の奥さん、メーカーを辞めてうちに来ること承諾したな。年収も随分違ったと思うが」と言うと
「事前に相談したら反対されるのは目に見えていたので、すべて事後報告でした。当然口は聞いてもらえませんでした。年収は300万くらい減りましたが、これからの自分の人生を考えてみたら、メーカーにはその答えが見つかりませんでしたから」
彼に「うちへきて後悔はなかったか?」と尋ねると
「全く後悔はしていません」と、私は安堵し胸をなでおろした。
彼の手土産は豆おかきだった。事前に私の好物を中川女史に聞いていたらしい。彼のこれからの人生に幸あれと、祈る秋の午後。

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