組織・集団はそのトップで決まる

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『組織・集団はそのトップで決まる』を絵にかいたような《阪神の優勝》だった。
監督就任早々に《A・R・E》を掲げ、見事アレを優勝に変えてしまった。実は《ARE》は単なる思い付きではなく、マーケティングの意味からも根拠のある単語を引用して、監督自らの造語として日本中に広めたのである。
K氏・Y氏と二代続いた監督時代と、全く違った考え方・方法を用いて、ごく普通の〈守り〉を軸とした野球を展開し圧倒的勝利をおさめて優勝へと導いた。
開幕当初選手層は決して順調ではなかった。期待していた「西投手・青柳投手」が使える状態ではなく、湯浅も早々に戦列から離脱する中、立て直しを図り、その中から村上・大竹が軸となり、少し遅れて伊藤が復帰し、近代野球では欠かすことのできない救援投手を整備し、特にストッパー役を最後まで勤め上げた岩崎の活躍なしでは、アレも覚束なかった。島本の存在も忘れることができない。のちに新聞紙上で知ったことだが救援投手陣は、月に一度くらいの割合で食事を共にし、団結を高めていたそうである。
岡田監督の第一の功績は、中野のセカンドへのコンバートである。それによって内野陣が引き締まり、エラー数も昨年までの半分以下になり、なかなか見られなかった併殺も増え、数々のピンチを未然に救った。これまでの監督のように守備も打順も日替わりではなく、固定したことで選手に自覚が生まれ、その結果が優勝へと繋がっていった。特に内野守備陣を固定し、外野も近本を中心に纏っていた。打順も1番・2番・4番・8番は固定し流れを作り、どこからでも点が取れるチームになっていった。終盤近くになって、正捕手である梅野が死球で戦列を離れ(今もリハビリ中)我々を不安に追いやったが、その代役を見事に坂本が務めあげたことも称賛に値する。
阪神には山本由伸のような大エースがいるわけではなく、また村上宗隆や岡本のような軸になる4番打者もいない。昨年と選手の顔ぶれはほとんど一緒である。ではなぜあれだけの大差で優勝ができたのか?その答えはリーダーである岡田彰布氏の高い知識と洞察力と人間力に他ならない。氏とはゴルフも何回か一緒にラウンドしたこともあり食事もした。出る言葉はその当時の阪神に対する前向きな『愛』だった。
オフには必ず祝ゴルフコンペが開かれるはずである。最優先に参加する。

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