池田女史の来庵

先日池田女史がやってきた。聞くところによると定年だそうである。そのあいさつで来られた。八幡ナショナル時代も含めてパナホーム兵庫で31年間勤務したとのこと。私は11年前にパナホーム兵庫を辞したから、約20年間、俗っぽく言えば『同じ釜の飯を食った』ことになる。面接の様子を私はあまり覚えていなかったが、彼女はよく覚えており、大変印象が良くて「明日からでも来たらいい」と、私は言ったらしい。考えてみれば数えたことはないが、これまで1000人以上は面接したと思う。ずいぶん適当な応対もしたかもしれないと、今更ながら反省している。
でも彼女のことは少しだけ覚えており、彼女は30歳くらいだったと記憶しているが、その一年くらい前に主人を肺がんで亡くしており、男の子を一人育てていた。その割には明るく前向きな姿勢が、多分気に入ったのだろう。それが《明日からでも》に繋がったと思う。
彼女は、展示場アドバイザー、満足センター(CS担当部署)、賃貸管理センターと部署は変わりながら、それぞれの部署をちょうど10年ずつ勤め上げたとの事。ご子息も大学を卒業後東京で楽しく元気に働いているらしい。
彼女は最後に
~パナホーム兵庫で働いてよかった、本当にいい会社です~
と言い残して去って行った。私にとって最高のプレゼントになった。
~ありがとう、池田さん~

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