杉山君と言えば一番に思い出すのは、なんといっても大学の文化祭での催し物の一つで執り行われた、50キロナイトラリーに二人で出場した事である。夜の八時に大学の中庭を出発し、次の日の午前八時までに帰って来なければならないという競技である。口の悪い友人、特に小池には散々馬鹿にされ、そんな無駄な事止めろと言われた。我々二人は何一つ予備知識がないまま意気揚々とスタートした。途中何カ所かのチェックポイントを通過し、20キロ近くまでは小走り状態で進んだ。25キロ時点に、華道部(私は華道部に籍を置いていた)一番の知的美人『江橋珠子』女史が、「香山君、25キロ地点は私の自宅の近所だから差し入れするね」と言ってくれていた。その言葉通り珠子女史は待っていて、私たちにおにぎりとお茶を手渡し、
『頑張ってね』と激励してくれた。
しかしながら35キロを過ぎ、40キロあたりまで来る頃にはほとんど疲れ果て、歩いているのか止まっているのか分からない状態だった。救護の車が来た時には、《どうしよう》二人で見つめ合ったりしたが、とにかく完走しようと話し合い、最後の5キロは半分意識のないまま二人肩を組み合って、《いち、にい、いち、にい》と声をかけながら、倒れるようにしてゴールにたどり着いた。午前6時頃だった。何とかセーフである。
もう一つの思い出としては、大学4年の夏休みを利用して、三人で、いわゆる卒業旅行に北海道へ旅したことである。せっかちな小池と、ちょっと動作の遅い杉山との間に入り、私はしばしば戸惑ったことを覚えている。
杉山は歯科医の息子である。それなのになぜ中央大学の法学部に来たのは未だに謎である。彼も小池同様に私に「麻雀を教えろ」と言ってやってきたのがきっかけで今日まで細々と付き合いが続いている一人である。彼は我々(小池と香山)の忠告を無視し、卒業しても何年かは司法試験の勉強をしていたが限界と悟ったのか、一念発起して大学の歯学部に入学して、かなり遠回りして歯科医になった。
私と小池はかなり頻繁に連絡を取り合っているから、おおよその近況は認識しているが、杉山とは何年も音信普通だった。それでも私は年賀状と暑中見舞いだけは送り続けていた。ここ二、三年前に彼から手紙が来た。それによると、伊豆の下田(彼の出身地)で歯科医をしながら、週末には家族のいる東京に戻っている。10年以上前には体調を崩したらしいが、今は普通に生活しているとのこと。先日、私の拙著〈或る二世経営者の挑戦〉を送付したところ礼状が届いた。
そのことを小池に話したところ、クールな小池にしては珍しく「香山、少し落ち着いたら三人で飯でも食べようぜ」と言ってきた。断る理由はないので、快く同意した。その時が訪れるのを楽しみにしている。
もう一人の友人・杉山君の場合
ブログ