歴史シリーズ~秋山真之~

彼を私に引き合わせてくれたのは、司馬遼太郎である。「まことに小さな国が、開化期を迎えようとしている」で始まる小説『坂の上の雲』を通じて知り合った。私が大学を卒業し、父が起こした会社で慌ただしく業務に追われている時に、大学時代の友人が「お前、最近本を読んでいるか?この本を読め」と言って、送ってくれたのが『坂の上の雲』だった。単行本だけでは物足らず文庫本も買い揃え、3回以上読み返し、私の生涯における最大の愛読書の一つになった。
秋山真之は1868年、伊予松山に生まれ中学までを過ごした。おさな友達に俳人の「正岡子規」がおり、兄好古は日本陸軍における騎馬隊の創設者である。『坂の上の雲』はこの三人の青春時代から大人としての活躍と、明治という浪漫と活気に溢れた時代を描き、やがて舞台は日露戦争へと展開されてゆく。
真之は子規と共に上京し、最初のうちは文学を志すが、経済的な理由から断念し、軍人として道を歩んでいくのである。海軍兵学校を首席で卒業するや海軍軍人となり、めきめき頭角を現し、広く海外を見る機会に恵まれる。特にアメリカに留学した時に巡り合った軍事思想家アルフレッドに強く影響を受け後、海軍史上最大の天才参謀と謳われるようになる。ロシアとの緊張はますます高まり、もはや戦争は避けられない状況になっていく。海軍総司令官は東郷平八郎、参謀長は島村速雄、その下ですべての作戦を立案したのが秋山真之である。1904年に宣戦布告し始まった日露戦争は、後半の最大の山場である日本海海戦を迎えることとなる。遠くロシアから、当時世界最強のバルチック艦隊がアフリカの喜望峰を超え、インド洋を渡りやってくる。日本海軍の絶対的ミッションはバルチック艦隊の全滅である。一艘たりともウラジオストックに寄港させてはならない。日本海の制海権を奪われ、大陸への兵站が枯れては戦闘出来ないからである。時は1905年5月28日。《天気晴朗なれども波高し、皇国の興廃この一戦にあり、各員一層奮励努力せよ》。Z旗を掲げ日本海戦の火蓋は切って落とされ、見事大勝利に導くのである。その画期的な作戦は、村上水軍からヒントを得、真之が狂うほど考え抜いたT字作戦、敵前においてUターンするという途方もない戦術だった。それを採用し実践させた東郷も素晴らしい。
この戦いの後、真之の主だった記録は残存していない。智謀の限りを尽くしたためであるとされている。

タイトルとURLをコピーしました