歴史シリーズ~伊藤博文の巻~

今年の大河ドラマは「西郷どん」である。放映から三分の一が過ぎようとしている。前回(4月22日)の放映で、名将とされた「島津斉彬」が亡くなり、私の記憶では、これから西郷の不遇の時代が続くはずである。当時日本国は井伊直弼が大老となり、彼にその舵取りが任されていた。有名な《安政の大獄》で吉田松陰は斬首されるのであるが、松陰が開設した『松下村塾』の塾生の一人に『伊藤博文』がいた。
伊藤博文は、1841年林家の長男として生まれるが、父親の破産が原因で、足軽伊藤家の養子となり利助と名乗っていたが、松陰から俊輔という名前を与えられる。松下村塾には高杉晋作、久坂玄瑞という突出した二人の人物が塾生として在籍していた。特に高杉との出会いは伊藤の後の人生において多大な影響を及ぼす結果となる。尊王攘夷運動に参加していたが、イギリス留学を強く望み、井上馨らと共に渡航し広く見聞する機会に恵まれる。列強との力の差を痛感した伊藤らは帰国後、開国論に転じ戦争回避に奔走するがその甲斐なく、馬関戦争が勃発し、その戦後処理に高杉の通訳として交渉にあたる。
久坂玄瑞は禁門の変に倒れ、高杉は病で、木戸も亡くなり、西郷は西南戦争で没し、大久保は暗殺され、明治維新の英傑人物が悉くこの世を去り、時代は伊藤博文へと大きく流れてゆくのである。維新後廃藩置県に伴い初代兵庫県知事に就き、堪能な語学力と慎重な思考が、井上馨や山県有朋などの支持を得て、1885年日本国初代の内閣総理大臣に選ばれると、その後第5代、7代、10代、4回に亘って内閣総理大臣を務めた。1909年、ハルビン駅において、大韓帝国の民族運動家《安重根》によって射殺された。しかしながら、ケネディ暗殺(オズワルドとされているが確証はない)と同様にその実態は定かではない。
伊藤の暮らしぶりは、衣食住にはあまり頓着しない性格で私財もほとんどなく、家族も周りも呆れるほどだったたそうである。一方、女性特に芸者遊びは好きだった。姫路選出の衆議院「松本剛明」氏は、二人目の妻、梅子夫人の玄孫にあたる。
伊藤博文は平和論者だった。日露戦争も最後まで消極的であった。彼の様な人物がいたらあの悲惨な太平洋戦争は起こさなかったであろう。今の日本の政治家達に強烈なメッセージを送って欲しいと、願っているのは私だけでないはずである。

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