我が家にもペットがいる。官兵衛という名の柴犬で、14年目を迎える老犬である。人間の年齢に換算すると72歳だそうで、我々より少し年上になる。官兵衛は二代目で、初代は「三太」と言い同じく柴犬であった。「三太」は17年間我々と一緒に暮らした。人間で例えるなら84歳で亡くなったことになる。息を引き取る3日前まで元気で散歩もし、食事も普段通り摂っていた。1か月の間に、何年か前に岡山の音大に通っていた長女が連れ帰り、そのまま香山家の一員として寝食を共にしていた愛猫「かーこ」と両方を失った家内は、所謂ペットロスになり49日を終えると、ウィーンに留学していた娘の元を訪ね2週間ほど過ごした。
初代愛猫「かーこ」は白血病を患い7歳(人間年齢44歳)で、二代目愛猫「くろちゃん」は肉腫を発病し9歳(人間年齢52歳)で亡くなった。三太は病気(やまいけ)が全くなく、老衰で静かに息を引き取った。官兵衛は数年前から肝機能障害を起こし、投薬を余儀なくされている。そのため食欲も前程なくなり、あれほど好きだった散歩も控えめになり、自宅周辺に留まっている。
2年前のゴールデンウィークが終わるころ、会社の倉庫の中で2匹の子猫が誕生した。早速私は、親猫を「ジュン」子猫をそれぞれ「太郎」「アン」と命名した。社員や出入り業者の人達に可愛がられながら今も元気に生きている。家内と私は会社がお休みの時、三人の外孫たちのお世話をしている。我が家の愛猫たちは箱入り娘として一歩も外に出さずに育てたが、この子たちは朝食をとり、シャッターが上がるや否や、よほど寒い日以外は別として、自由気ままに飛び回っている。
時々近くの畑や溝の中で見つけたカエルやトカゲを咥えてきて、自慢そうに見せるそうである。アンちゃんはスレンダーでスタイルは良いが、母親であるジュンちゃんは少々太り気味で、太郎君はその中間に位置している。アンちゃんは比較的なついているが、他の子たちは私が呼んでも見向きもしない。家内が時間を取れない時は、私が隣市の動物病院へこの子たちを連れて行く。院内は親子や夫婦連れでごった返しており、半日仕事である。
当世は、《ペット》という概念は存在しない。家族そのものである。《犬派》?《猫派》?の論戦は尽きないが、ワンちゃんは忠実・猫ちゃんは哀愁。果たしてどちらがお好みですか?あなたは?
当世ペット気質
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