ローマは紀元前753年、狼に育てられた双子の一人である『ロムルス』の手によって建国された(ロムルスの名をとってローマと命名される)。その後、7代続いた王政は、紀元前509年に共和政へ移行する。共和政時代の最大の事件は、なんといってもカルタゴの名将ハンニバルとの死闘である。秀才青年スピキオが現れ、ザマの戦いでハンニバルに勝利し、ローマを救った。
共和政の元では、いずれローマが滅亡することをいち早く察したカエサルは、統治形態を帝政へと変えるべく模索するのである。8年の年月を要してガリア(今のフランス)を制したカエサルは、自分自身が育てた精鋭部隊を引き連れてルビコン河を渡る。当時、ルビコン河を渡る前に、武装解除して渡らなければ謀反者として罰せられることになっていた。その時、カエサルが発した言葉が、有名な「賽は投げられた」である。
圧倒的な武力を前にして、元老院はカエサルを糾弾することは出来なかった。宿敵ポンペイウスを破り、終身独裁官に就任する数々の改革を断行する。中でも彼が提唱したユリウス暦は、その後1600年の長きにわたりヨーロッパ各地で使用され続けた。紀元前44年3月15日、カエサル55歳のとき、くしくも元老院議事場のポンペイウス回廊において、トーガの内側に短剣を忍ばせたブルータスをはじめとする14人の刺客の手によって暗殺されるのである。しかしながら、暗殺者達は自分達の犯した罪の重大さに恐れ戦き、その4日後に主だったメンバーはローマに留まることが出来ず何処へともなく去ってしまう。
ギリシャは哲学で国を治め、ユダヤは宗教で国を纏め、ローマは法で統治したと言われる。カエサルは、自分があと10年生きると想定し、遺言書をしたためていた。その遺言書によれば、後継者にオクタビアヌスを、片腕にはアグリッパを指名していた。18歳の弱々しい青年オクタビアヌスなどほとんどの人が認知していない。法に忠実なローマ人は、死者の最後の言葉を無視できない。かくして、この二人が実に素晴らしかった。オクタビアヌスは初代皇帝に就き、戦はアグリッパに任せ、もっぱら国の統治に重点を置き、ローマ帝国の礎を確立するのである。
世界史上、カエサルほどの天才は見当たらない。彼は全てがわかっていた。彼が残した言葉のうちもっとも偉大な言葉を記す。
『人間は見たいものしか見ない』
歴史シリーズ ~カエサルの巻~
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