高校時代7人で『年輪の会』と言うグループを結成していたが、そのうちの一人が22年前プラットホームで特急電車に撥ねられて命を落とした。
それ以来毎年欠かさずお盆には、お墓が建立されるまでの2年間は自宅に、建立されてからはお墓にお参りをしている。お墓は宝塚にある。
6人のうち1人は東京に在住なので参加は無理である。今年も5人が揃った。2人は京阪神に住んでいるので、播州地区に居る3人とは現地で落ち合う。
川西に住まいするK君の場合。
彼は同志社大学を卒業し、当時では珍しい外資系の薬品会社に就職した。休日が充実している点と給与が安定しているのが、大きな就職動機だったらしい。文通(その時代は雑誌などで知り合い文通が、現在のネットのように流行っていた)で知り合った山形県の女性と結ばれ、2男2女を授かり、円満な家庭を築いている。早期退職をし、充実した年金制度を上手く活用し、読書三昧の優雅な日々を送っている。
奈良に住まいするM君の場合。
M君は、大阪市立大学を卒業後、好きだった旅行会社に就職した。私も時々旅行のプランや手配をお願いしたことがある。旅と云う現場から彼は離れ(彼の意思とは逆)管理職を任されるようになり、矢面に立たされてリストラを断行した。それが一巡した後、今度は自分がリストラされ、訳の解らない関連企業にいく羽目になった。そのときばかりは、殆ど愚痴を云わないM君がしみじみ語ったのを覚えている。競馬が大好きで、亡くなった友人とは小倉まで競馬に出かけたこともあったそうである。大変気の良いやつで、彼を悪く言う者はいない。今は週に2日ほど銀行の案内人をしている。1男1女の良きパパである。
姫路に住まいするT君の場合。
彼は大阪医科歯科大学付属の技工士の専門学校を卒業し、しばらく勤めた後開業した。彼の細かな性格と器用な手先からして、技工士はぴったりの転職だったと思われる。こつこつと40年以上も働き、現在は息子さんにバトンタッチをしたとの事。時々忙しくて手が回らないときは手伝っている。この7月に膀胱癌の手術をしたそうだが、順調に回復しておりビールもたしなむとの事だ。3人の孫にも恵まれた好々爺である。健康には留意してください。
宍粟市に住まいするK君の場合。
K君は龍谷大学を卒業後、長男と言うこともあり、私もよく知っている地元の企業に就職した。経理、海外事業部、アルミサッシ事業等々を歴任した後定年を機に、監査役を勤める傍ら一念発起し、母校である龍谷大学に院生として再入学し、卒業しても特別聴講生として、現在も週に2日ほど京都まで高速バスで通っている。研究科目は『浄土真宗』で、他に英語ももう一度学びたいそうである。この8月26日には、志澤塾で講師としてのデビューを飾る。勿論仏教学、特に親鸞聖人の教えについて話してくれるよう依頼している。
東京に住まいするH君の場合。
我々の仲間では最も優秀だった彼は京都大学を卒業後、三菱商事やメガバンクの内定を袖にし、日産自動車に就職した。オーストラリアを皮切りに、ドイツ、北米と海外勤務を経た後、当時日産では天皇といわれた石原会長の下、第一秘書課長を十二分に勤め上げ、将来の役員は保証されていた。私も副社長くらいには出世すると信じていた。ところが、カルロスゴーン氏の出現で、彼の日産での居場所はなくなった。ちょうどその時分に喉頭癌を患い、手術後一時は声を失っていた。その後彼は俳句と出会い、持ち前の感性と研究熱心さでめきめきと頭角を現し、現在は句集『汀』の編集長を任されており、外部の評価も段々高くなり、近く《俳壇》において2ページを割いて彼を讃する記事が掲載されるとの事である。11月には志澤塾で講義をしてくれる予定になっている。
亡くなった友人のお墓参りのあと、近くの宝塚ホテルの談話室のような喫茶ルームで近況を話し合うのが慣例になっている。東京のH氏は電話で参加する。健康のこと、家族のこと、最近の出来事、話は他愛もないことが殆どである。時には昨年のように、この場で小旅行が企画されることもある。
残された人生とは逆に、プチ同窓会は延々と続く。
