北野先生のリクエストにお応えして~トルコ旅日記《番外編》~

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昨日ゴルフが終わり携帯をチェックすると、志澤塾の秘書兼事務員から『トルコ絨毯(北野先生風に表現するとお絨毯様)が届いております』と言うメールが入っていた。
定時のAM11時頃志澤塾に到着。(その時間までいったい何をしているのかと疑問に思われる方の為に、通常の私の一日を記す事にする。夜は余程のことがない限りPM10時30分に就寝。但し小一時間くらいは本、主に小説を読む。朝はAM5時30分~6時に起床、と同時に奥様をそっと起こす。『もうそろそろお時間ですよ』といった具合に。階段を下りると我が家の愛猫が『ニアオー』と足元に擦り寄ってくる。体重が軽くなった【その理由については後日記す】ネコちゃんを抱きながら新聞を取りに行く。新聞を取り入れた時分に奥様が階段をゆっくり降りてくる。私は新聞に目を通す前に、愛猫の水を替えたり、牛乳を新しく入れ替えたり、パンをほんの少々千切って皿の上に置いてやる。ネコちゃんはしばらくしてから牛乳を飲み、パンを食い散らかす。それを横目に観ながら新聞を読む。そうこうしているうちに朝食が運ばれてくる。リンゴ一個、食パン一切れ、ヨーグルト一つ、それと低脂肪牛乳カップ一杯、365日余程のことがない限り全く変化のないメニューである。朝食が終わると、三分間砂時計を見ながら歯を磨く。『あまちゃん』が終了したので、AM7時30分からのBS放送を見る必要がなくなり、AM7時40分頃、宍粟市山崎町にある八幡建設に出社する。パソコンを開け、世界中?から届いてくる私のメールをチェックし、前日の株価を調べ、パナホーム兵庫の受注状況を確認し、ヤフーやその他で主な最新のニュースを眼で追う。AM8時過ぎに女子社員がコーヒーを煎れてくれる。相談があれば幹部達が私の部屋にやってくる。また私が呼びつけることもある。AM9時30分喫茶『サボイ』でお茶。O君とM氏が合流。ゴルフから政治?経済?芸能に至るまで幅広く小一時間ほど議論?を交わす。私の女房曰く、『女の腐ったみたい』。で、私は中国縦貫道と播但道路を利用してやっと志澤塾に。それがAM11時になる理由である。)
玄関を開けてみると、絨毯は船便で送られてきたそのままの姿で土間に放置してあった。私は持とうとしたが重くて一人では無理である。事務員に声をかけ、二人で居間まで運んだ。早速梱包を解いてみると、色やデザインは感覚の通りだったが、大き過ぎて到底お茶室にはそぐわない。茶室に毛氈代わりに敷くつもりであったが、諦めざるを得ない。現在、居間になんとなく広げている、と言う使い方をしている。
9月28日11時46分。市原夫妻が姫路駅に到着。トルコから帰国してから、メールでやり取りを行った後、この日に来姫することになった。駅から志澤塾までは車で10分もかからない。市原夫妻の本日の装いは、主人の正人氏は白っぽいスポーティなシャツにチャコールグレーのパンツ、奥様の悠さんは黒のワンピースに白のボレロを羽織り、真珠のネックレスがよく似合っている。透き通るような白い肌に映えたコーディネイトである。(事前にラフな服装でいいですよと伝えておいた)昼食は近くのお店で創作和風ランチを4人で食べる。
「美味しいですね」と悠奥様。「トルコ料理よりはましでしょう」と私は言う。食事を終えてから今日の来姫の目的の一つでもある『絨毯鑑賞』に取りかかる。「座っていいですか?」
「どうぞどうぞ」手や肌で感触を確かめながら、夫妻は楽しんでいる。
絨毯鑑賞が終わると、茶室【波裡庵】へとご案内する。私が手ほどきをしながら蹲で手を洗い口を漱ぎ、躙口から席入りする。事務員(実は彼女は15年以上お茶の稽古を積んでいるベテランで、茶名も頂いている)がお菓子を運び、茶道口より一礼をして亭主である私が登場する。細かな間違いを繰り返しながら、トルコで購入してきたお茶碗で私が夫妻のために二服点てて差し上げた。私は事務員のお点前で一緒に戴いた。
「美味しいです」と奥様。
「苦くないですね」と市原氏。

水屋もお見せしながら居間に移動する。悠奥様が、八寸角の大黒柱に掛けてあった太田垣画伯の芥子の花の絵を見つけて、
「綺麗なお花ですね。私このお花大好きです」
「仕方ないです。そんなに気に入られたのなら差し上げます」と言ってしまった。
「まあ嬉しい、本当ですか」真におねだり上手な悠奥様である。因みに、イスタンブール空港でのフェラガモの靴はどうなったのかと尋ねたら、買ってもらえなかったとの事。主人はさすが公認会計士、金銭感覚はしっかりしている。パナホーム兵庫の一階にあるギャラリー『ルネッサンススクエア』(私はそこの館長である)を案内し、来年9月に志澤塾で講義をして頂くことをお約束して、姫路駅まで送りそこで別れた。相変わらず爽やかな夫婦である。
9月17日に一通のメールが私の手許に送信されてきた。~秋涼の候から始まり、季節柄ご自愛下さい~で終わるメールの主は、あの高校生と保護者チームの高校生からだった。(もう高校生ではないことが判明したので、これ以降は北野真理先生と呼ぶことにする。)先生が短い髪の毛を無造作に束ねているのは輪ゴムではなく「ヘアゴム」ですね、分かりました。これは何回かのメールの交換で先生から指摘があったので訂正しておく。
真理先生は帰国後すぐ私のメールを簡単に探し当てたそうで、第一回目のトルコ日記がアップされて以来、最終のエピローグまで楽しみにされていて、全部読み終えてから私に連絡しようと思っていたとの事。真理先生が購入した『トルコ絨毯』の玄関マットは、お母様の手によって、真理先生がお嫁に行くときに持たせる『お嫁入り道具』として管理されていると、先生から伺った。先生には半ば強制的に今回の旅日記についての感想文をお願いし、書き送ってもらった。作者としてはどんな風に感じられているかは気になるところである。人間は誰かに評価されて毎日が生きられる。昔、ある女性がこんな詩を詠んだことを思い出した。

愛されることは幸せ
憎まれることは辛い
しかし、無視されると死んでしまいたくなる

実は真理先生のたってのご要望で、性懲りもなくトルコ旅日記の番外編を書いている。市原夫妻や真理先生の情報によると私が娘と行動を共にした8月17日にも、例の『あっちゃんチーム』『ミニミニチーム』『生意気なガキのいる家族風チーム』は、興味のあるハプニングを起こしたとの事。私は目撃していないので、コメントは差し控えるが、なかなか楽しかったそうだ(笑)。
最後にひとつ訂正をしておく。それは石川新婚チームとの会話である。真実はこうだ。私、主人に曰く、
「ご主人、この何日か見ていましたが、本当に優しいね。でも大変ですよ、これから何十年もそんなに優しくするの?何年か経って、奥様からあの時は優しかったと言われますよ。」「じゃあどうしたらいいのですか?」「時々優しくすることですよ」主人は奥様に「香山さんああ言ってるけど、どうする?」
奥様「私はずうっとやさしいのがいいです」という内容の会話だった。それくらい素敵なカップルだった。
今至るところに赤や青や黄色の《シデ》が目に付く。姫路の町はやがて祭り一色に包まれる。
何処からともなく「金木犀」の香りが漂ってくる。自然界は確実に秋を深め、やがて冬を迎える。その頃にはこの《トルコ旅日記》も忘れられているであろう。
                  終
編集後記その壱
11月9日に茶室『波裡庵』で炉開きを執り行う。それに、市原夫妻と北野真理先生チームも出席していただく事になった。
編集後記その弐
家島美人の○○輝美子さん!この旅日記を見ていたら連絡下さい。同郷のよしみです。石川夫妻も勿論大歓迎です。
編集後記その参
もう誰からのリクエストがあっても書きませんので、悪しからず。

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