子供の絵画展

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2年生

今年で子供の絵画展は35回を数えた。

私が、当時の「八幡ナショナル住宅」の再建を託されて、赴任したのが39年前のことである。34歳の夏だった。今でもその時の様子は鮮明に記憶に残っている。モデルハウスを移築した建物で、社屋というよりは作業小屋のような事務所だった。出来るだけ早い時期に社屋を新築したいと思っていたが、資金的に乏しい状態であったので、なかなか決心がつかなかった。新たにアパート事業を展開し、かなり業績は回復しつつあったが、新しく社屋を建築するだけの資金はなかった。しかし、アパートの営業方法からヒントを得て、誰か個人の名前で建築をしていただき、その人に家賃を払うシステムなら可能だと閃き、私の父にその名義人になってもらい、父に金融機関から借り入れをさせて、その返済額を上回る家賃を父に支払う、という約束で新築する計画を立てた。
早速私の友人の設計士に相談し設計に取りかかった。メインである1階部分をどうするかと迷った。ショウルーム?サロン?どれもピンとくるものがなく、ふと口に出た《ギャラリー》に胸踊るものを覚え決定したのである。
各地の美術館を見て回り、結局岡山にある『オリエント美術館』を一部取り入れ創り上げ、その名称を『ルネッサンススクエア』と命名し、館長を(故)池内登氏にお願いをしてスタートした。
ギャラリーでの催し物でどうしても行いたいものが2つあった。その一つが《子供の絵画展》である。第一回目は私と中根女史で、各教育委員会を皮切りに、姫路地区・龍野地区の小学校を訪問して、出品の依頼をしたが、結果は150点しか集まらなかった。しかし回を重ねるごとに出品数は増えて行き、1200点を超すようになり、その数を制限するまでになった。表彰会場も最初はギャラリーの中で行っていたが、手狭になり社屋の大会議室に変更したが、いつごろからか隣のホテルで行うようになった。コロナ禍ということもあり、今年3年ぶりで表彰式を執り行い、清元姫路市長も臨席していただきいい式になった。
一番の思い出は、子供の絵画展での作品をカレンダーに出来た事と、NHKの依頼で作品何点かを遠くドイツまで貸し出した事である。SDGsの先駆者だったと、自負している。

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