14日。
夕方頃千草カントリーから帰宅すると、夏休みを利用してウィーンから帰国中の長女が、1年位前から病院を転々としながら入院中の義母が危篤状態であると、私に告げる。
任されている《犬&猫》達の世話の後、行き付けの料理屋で夕食を済ませ、今夜は病院で夜を明かす心算の妻に差し入れを持って、隣町の八重垣病院に車を走らせた。
午後8時頃着く。病室に入りその様子を伺うと、昏睡状態の中で呼吸の間隔が長く、いつ途切れてもおかしくない状態だった。30分ほど見舞い、9時前に帰宅すると同時に、妻から携帯に電話が入り、今息を引き取った、と知らされる。
15日。
午前10時頃娘と、昨夜のうちに自宅に葬儀社の手で運ばれていた義母の遺体と改めて面会をした。昨夜私が見た顔の表情より、悠に穏やかな表情である。
葬儀社との打ち合わせの結果、16日19時通夜、17日11時告別式と決まる。
16日。
午前中に一度伺い、午後3時に礼服に着替え再び妻の実家に行く。車で10分もかからない距離である。簡潔に遺体を清め午後4時半、自宅から出棺し、葬儀社の車で葬儀場へと移動する。通夜における喪主側の作法を教えられ、6時より弔問者をお迎えする。
7時に通夜が始まり、8時に終わる。それから親戚と一緒に食事を頂き、9時前に私は自宅に戻る。
妻達姉弟3人は、明日の告別式の打ち合わせのため実家に戻る。
17日。
9時前に式場に着き、お慈悲(朝食)を頂く。10時よりお迎えのため式場内に立つ。
11時開式、12時出棺、斎場へ12時15分到着。収骨は14時20分。その時刻まで式場にて待機。再度収骨のため斎場に向かう。収骨は喪主より行うが、木と竹と一本ずつ使用し、二本の箸で執り行う。収骨した骨箱を持って、導師を務めてもらった《願寿寺》に立ち寄り読経して頂く。式場に戻り、初七日も兼ねて親戚一同で読経し会食を摂る。
午後5時、全てが終了。
『亡くなった義母は、この9月3日で93歳だった。広島県の呉市で生まれ、当時としては豊かな家庭に生まれたのか、珍しく女学校を卒業し、ピアノを嗜み合唱団にも所属していたとのことである。呉市にあった海軍兵学校(俗に言う海軍士官学校)に所属していた男性、つまり夫と知り合い、この田舎町に嫁いで来た。その夫とは一女をもうけた後、先の世界大戦で戦士する。戦時中はよくあった出来事だが、戦死した夫の弟と再婚し、一男二女を授かった。』私の印象としては、読書家で明るく賢い女性だった。また大の阪神ファンでもあった。大正、昭和、平成と、三世代に亘り力強く生きられた、と思っている。
まさに《天寿》を全うされた。心から冥福を祈ります。
天寿
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