2月25日の講義から

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今日は2月27日。
志澤塾の庭の枝垂れ梅の蕾が一つ二つ綻び始めた。事のほか寒かった今年の冬がようやく終わり、春の足音が聞こえ始めた。開講して1年が過ぎようとしている。
勝算のないままスタートし、試行錯誤を繰り返しながらの1年だった。
今回のテーマは《非常時、異常時におけるマネジメント》である。私が経営の実践の中で執り行った事例を中心に紹介し、それぞれにコメントをしながら進めていった。
①アパート事業の展開(昭和58年)
30年前に私が当時の『八幡ナショナル住宅』の再建のために赴任し、最初に執った戦略である。率先垂範、鬼の営業部長の実践について熱く語った。
②15%の昇給(平成5年)
世間が不況時、全員に15%昇給し、結果的に大躍進をしたエピソードについて詳しく解説した。
③常務の死(平成7年)
52歳の若さで、くも膜下出血で亡くなった常務の臨終から葬式、そしてその後の退職金までを、私が詠んだ弔辞も含めて紹介した。再度私も目頭が熱くなった。
④寝耳に水(平成14年)
メーカーの販売体制が180度転換した時の対応について、当時を思い出しながら話した。
⑤記念植樹(平成15年)
唯一赤字決算をしてしまった記念に、全社員で枝垂れ桜の植樹式を執り行った。所謂《赤字記念植樹》である。心の戒めにしたのである。
⑥兵庫プレカット(平成22年)
経営の教科書のような、絵に描いたような再建策が成功を収めた事例を紹介した。
愛読書『坂の上の雲』の一節に、大山巌元帥が児玉源太郎に
「勝ち戦のときは児玉さんに任せます。負け戦になったら私が指揮を執ります。それまではゆっくり昼寝でもしておきます。」という行りがある。
予測できることは、あらゆる手段を通じて手を打っておかねばならない。それでも長い事業経営の間には、突発的な出来事は生じるものだ。その時真価が問われる。うろたえることなく冷徹に事態を見極め、対応しなければならない。
全身全霊を傾けて、陣頭指揮で臨まなければならない。
何故なら、決して失敗は許されないのだから。

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